2008年10月30日
コントロールド・サーキュレーション誌のアンマッチ
「コントロールド・サーキュレーション誌」が、なかなか上手く行かない理由は、「作り手(出版社/編集部)」と「受け手(読者)」に大きな温度差が有るからではないかと思っています。
書店販売雑誌や直販誌は、読者が自ら望んでお金を支払い購読しているので、雑誌の執筆者や編集者、そして雑誌自体に対する忠誠度が非常に高く、言わば雑誌に「臣従」してくれる読者です。
一方、購読希望者リストや様々な名簿から媒体に適当と思われる各種条件に沿って出版社が審査/抽出した人に無償で送付する「コントロールド・サーキュレーション誌」の読者は、どうしても相対的に帰属意識や忠誠度が低くなりがちです。
巷にたくさんの「フリーマガジン」が溢れている現在にあっては「あぁ、素晴らしい無償雑誌を本当にありがとう」と感謝してくれる読者は、少数だと思います。特に創刊直後は「お試し購読DM」として送付される事も多いので「なんか変な冊子が送られてきたゾー」という印象を持つでしょう。
そして、作り手は作り手で有償雑誌読者と長く付き合ってきた編集者が新たに「コントロールド・サーキュレーション誌」手掛ける場合、こんなに良い情報満載なのに無償で読めちゃって「良かったな、キミたちは幸せ者だぞ、コノヤロー!」と思ったりしてしまうと、読者とのズレは悲劇的なまでに拡大ということになります。
「コントロールド・サーキュレーション誌」を運営していく為には、貴重な情報、有用な情報を提供しつつも、独善的な啓蒙を嗅ぎ取られるような特集は封印し、決して上から目線にならず、「厳しい条件をクリアした読者様」に対して少し謙った位置からサポートをして差し上げるというポジショニングが必要なのだと思います。雑誌主導と感じさせないイベントやコミュニケーション・サービスの在り方も考えないといけないでしょう。
あたかも「執事」のようにというと、少し違うかもしれませんけど。